アメリカ軍の虐殺行為に関する田中徳祐の証言
独立混成第47旅団に所属してサイパンの戦いに従軍した田中徳祐(豊橋陸軍予備士官学校卒業)は、以下のような米軍による残虐行為を目撃したと主張している。
- マッピ岬のパナデル飛行場に追い詰められた民間人のうち、婦女子を選び出して裸にし、数台のトラックに積み込まんでいった。女たちはトラックの上で泣き叫んでいた。
- 残りの老人と子供の周りにガソリンがまかれ、火がつけられた。忽ち阿鼻叫喚の巷と化した滑走路。火から逃れようとする老人や子供を、米兵はゲラゲラ笑いながら火の中へ蹴り飛ばしたり、銃で突き飛ばして火の中へ投げ入れた。二人の米兵は、草むらで泣いていた赤ん坊を見つけると、両足を持ってまっ二つに引き裂いて火中に投げ込んだ。
- こんなに優勢な戦闘にも拘らず、米軍は毒ガス弾(赤筒弾)攻撃まで仕掛けてきた。
- マッピ岬では、岩の間に一本の青竹を渡し、それに串さしにされた婦人を見た。 更に自分と同じ洞窟に居た兵士や住民が五体をバラバラに切り刻まれて倒れているのを眼前に見た。
- 米軍の残忍非道から名誉と身を守るために「天皇陛下万歳」を奉唱してマッピ岬から太平洋に身を躍らせた老人、婦女子や、左腕に注射針を刺し、君が代と従軍歌「砲筒の響遠ざかる…」を斉唱しつつ自らの命を断った十余名の従軍看護婦達の最期を田中は見た。
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